Tuesday, February 1, 2011

バッハ:マタイ受難曲


バッハ:マタイ受難曲
>> たしかに名演なんだが・・・・
現在の私としてはリヒターのバッハ演奏、とくにマタイ演奏に神格的評価を与えうることには躊躇する。



何故かと言えば、この録音からすでに五十年以上が過ぎ、その間クラシックの世界、バロック演奏の世界の歴史にはあまりにも多くの



事象が刻まれた。マタイ演奏も例に漏れず、私たちは実にたくさんの録音や実演に接してきた。アトランダムに挙げてもクレンペラー、



マウエルスベルガー、レオンハルト、カラヤンなどなど実に多彩なマタイ演奏を聴くことができた。リヒターのこの演奏はもちろんそれらと



比較して言葉の正しい意味においてユニークであり、強い感動にも誘われる。この演奏を聴いて音楽観、人生観、世界観などが大きく揺すぶら



れ、ひっくり返った人も少なくはあるまい。それほど強い訴求力をもった名演であることに異議はない。



しかしである。バッハの音楽というものを考えた場合、リヒターが捉えたものは確かに鋭く深いのだが、それだけでよいのだろうか?詳説する



スペースはないが、わたしが思うにバッハの音楽はもっと幅広く、柔軟で多様なものではなかろうか?リヒターの表現はバッハの持つ幅広さや



柔軟さを犠牲にして集中力の強い、鮮烈な音楽を獲得したように思える。そこには新古典主義あるいはノイエザハリヒカイト的な演奏様式の残



映がうかがわれる。それはオルガンのヘルムート・ヴァルヒャにも通じるところであり、ある時代の一流演奏家の英雄的形姿をの示すものでもあ



った。しかし時代は流れた。もっともリヒターのバッハ演奏を古くさいなどと言うことはできない。やや表現力の幅が狭い(固い)とは言え、こ



れほど説得力を持つマタイ演奏のできる指揮者はそういるものではない。いまの私にはあくまでこれを多様なバッハ解釈の優れた事例の一つとし



て味わうしかないようである。



宗教的な意味合いでも一言あるのだが、それはまた後日にしよう。




>> 音楽には魂があることの証明ですね、最高
バッハの代表曲として「マタイ受難曲」と人は言う。だから、バッハの器楽の延長として、これがどんなものか知りたくて、CD評価もよいので入手した。聞いてみて、はっきり言って、1度聞いたら中途で止めていた。なにか面白くなかった。しかし。音楽って、ただ単に楽器演奏とういのは、欧州世界での教会のミサが主であり、その集合の鐘の合図のように交響曲が発展したことから、語り、コーラスが中心なんだ。「マタイ受難」はイエスが捕らわれ、裁判を受け、十字架につるされ、処刑されるストーリー性豊かな場面をコーラスと伴奏(しかもフルート、オーボエ、バイオリン、オルガンなど数少ない楽器のみで演奏)であらわしたものです。器楽曲が、その意味するところがわからず、ただ聞いていて、イメージだけで自分はとらえてうまい、下手とか評価していたが、やっぱり音楽にはストーリーがあるんだと改めてわかった。このCDの録音は1958年です。まずこんな古い年代のCDは買いませんね。でも初めてステレオ録音されたこのリヒターのCDは時代を超えて、録音状態が極めてよく、キャスチングも一流どころで、文句なしに、マタイ受難の代表ですね。イエスが語るときには弦が長く音を伸ばします。しかし、汝なぜ我を救わんという下りのみ、弦がなかったというが、自分にはよくわからなかった。福音師がしゃべる時には、オルガンが頭に入ります。イエスを磔にする民衆のコーラスがワイヤワイヤの喝采の様に盛り上がっているのが不思議でした。静かに悟り聞かせるように歌っていた第2アルトのヘルタ・テッパーのソロが良かったです。1960年代に来日も2度ほどしているようです。この曲は、日本語訳があって初めてわかるのであり、海外版では言葉が分からないので、高いけれど日本版を買ってみよう。

コンサートの帰りに「マタイ受難曲」を一緒に歌いませんかと、チラシを配っていることがありました。それほどこの曲は宗教と深いつながりがあるのですね。曲をどうこういう身じゃないけれど、こんな立派な音楽が作られていたことに驚きです。
>> 忘れてはいけない名演ならぬ驚演
説明する必要の無い程有名な1958年の『マタイ』である。
リヒターには、1969年の日本ライブ、1970年代の映像盤、1979年頃の晩年の録音もあるが、リヒターの『マタイ』だけでなく、総ての『マタイ』から一つを選べと言うなら、間違いなく1958年のこの盤を選ぶだろう。
まず、これ程、『感情豊か』なマタイは無い。
『感情豊か』と言えばイエスの受難に立ち会った様々な人達〔弟子達や祭司長たちや十字架につけられたイエスを見る群集など〕の感情をいやがにも表したメンゲルベルクの演奏もあるが、メンゲルベルクと違うのは、リヒターはテンポ・ルバートではなくイン・テンポであるということ。
テンポを自由自在に操り、人々の感情を表したメンゲルベルクとは違い、テンポを変えずに、人々の感情をこんなにも出すのだから、僕はやはりリヒターを凄いと思い、メンゲルベルクの『マタイ』をどこか認めたくないのである(メンゲルベルクが嫌いというわけでは無い)。
また、リヒターの『マタイ』の中では、ソプラノ・リピエーノが一番飛び抜けて、よく聴こえる。少々音程が悪く、1979年の時のレーゲンスブルク大聖堂合唱団のように、あそこまで、綺麗ではないが、音程を犠牲にして、感傷的なコラールを歌っているので、音程の悪さがさほど気にならない。逆にそれが感傷的にさせているのではないかとも思う。
また、通奏低音のオルガンもストップを変え音色を変えて、様々な雰囲気を出しているのも良い(他のリヒター盤はレチタティーヴォの所はチェンバロで弾いているので、雰囲気がこの録音と比べるとあまり変わらないのである)。
また、キャストも素晴らしい。エンゲンのイエスは、『ヨハネ』でも歌ってほしかった。それ程素晴らしいのである。(『ヨハネ』はイエスのヘルマン・プライがミスキャストだ。声が明る過ぎるのである。)
もっと書きたいが、空きが無くなった。絶対聞くべし。

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