Friday, April 29, 2011

グレン・グールド 坂本龍一セレクション


グレン・グールド 坂本龍一セレクション
>> 最近の坂本の仕事の一つ
チェリストの藤原真理さんにいたく感動していた教授。「藤原さんに出会うまでは、作曲家が一番の存在だと思っていたから演奏家なんてバカにしていた」と語っていた。確かに音を変えて勝手にいじくるなら自分で作曲すれば話が早い。だが、坂本は自分がいなくなった後のことを考えて、若者たちに自分の曲を自由にいじくって欲しくなったのだろう!「もしかしたら…」の期待を込めて。
>> タイトル通りの恐ろしく寒い企画
いわゆる日本的ピアニズムの代表である坂本氏が選曲したグールドということであるが、おそらく単なる悪い冗談なのだろう。



グールドといえば、ロマン主義的で19世紀的な俗っぽいピアニズムを排斥するため、生涯をかけて戦った潔癖なピアニストであるが、

彼の最も毛嫌いした安っぽいピアニズムの代表選手である坂本氏がグールドをセレクトするというのは、一体全体どういう趣旨の企画なのだろうか。



テレビ番組を見ていないので詳細は不明だが、時代遅れのレガートとペダルを多用して過剰にセンチメンタルな表現をする坂本氏が、

レガートとペダルを否定し、センチメンタリズムを憎んでいたグールドに憧れているというのは意外だった。



実際のところ、このCDには安っぽいセンチメンタリズムが蔓延し、グールドが細心の注意を払っていた論理的な一貫性も欠けている。

坂本氏はグールドの芸術性をまったく理解していないと結論づけても問題ないだろう。(本人はそう思っていないだろうが)



さらに言えば、録音された時間軸にそって並べるという方法論も、

グールドの「録音は時間軸を消し去る効果がある」というメディア哲学と真っ向から矛盾している。

これは、グールドが全面的に否定していたコンサート至上主義的な考えによる、陳腐この上ない発想だ。



この企画を助けたという宮澤氏の『グレン・グールド論』も、

ケヴィン バザーナ氏の明晰な論評には比べるべくもない非常にセンチメンタルでお粗末な内容だったが、

日本ではアカデミックな世界でさえ、こういう知性のかけらもないグールド論で、

楽譜さえまともに分析できない学者が第一人者としてまかり通ってしまうという現実は恐ろしいものがある。



A journey to the polar northということであるが、確かにタイトル通りの恐ろしく寒い企画には違いない。

企画そのものが倫理的に間違っており、このような企画は日本以外ではありえないだろう。

重ねて言うが、これは許しがたくとんでもない企画だ。

グールドを知らない人が、最初にこのCDを買ったら、こんな不幸なことはない。

グールドも天国で悲しんでいることだろう。



このCDに5つ星をつけている人もいるが、たいへん不思議だ。坂本氏のファンなのだろうか。

坂本氏は自分をカッコよく見せるだけのために音楽を利用しているということに、まだ気がつかないのだろうか。

彼にかかると音楽は俗化し、陳腐化してしまうというのに。
>> マニア向け・・・・・
 グールドなら、まずバッハ、モーツァルト。ビギナー向けの「新しいグールド・ベスト盤」とは思えない。国営放送がサポートする、この国のグールド人気は、「神格化」というか、やや異常な感じもする。

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