モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集
>> Mozartの原点となった演奏でした
昭和41年に小学校を卒業するまで、小学校時代はモーツァルトの
ピアノ奏鳴曲を全曲稽古することに明け暮れました。
中でも手本となったのが、ヘプラー先生が昭和38年からフィリップスレコードから出された
数枚のLP盤でした。繊細で可憐な先生のモーツァルトに身も心も虜となりました。
それから20年後に再録音された演奏は、初めの録音とは一線を画し
力強いタッチと豊かな左手の和声を響かせた厚味のある、濃厚な
アーティキュレーションとアゴーギクに拘られたヘプラー先生の畢生の録音に
聴き入ることが再びできて最高に幸せです。
モーツァルトの作品には、人を勇気付ける力が込められています。
それを具現化してくださったことにヘプラー先生に感謝しています。
>> 至福!
条件はないがあえて言うなら、先ずは一寸でもモーツァルトが好きなこと。これを前提に、まず何も先入観無しにK280番台あたりを聴いてみる。耳の中と脳髄にとっくに忘れていたような美味しい、瑞々しい感覚が戻ってきて「ああ俺も結構まだ感受性鈍ってねぇんだ」と安心する。そして気が付けばへブラー女史に案内された至福の空間に漂っている俺が・・・ってなところが正直な感想。で、我に返り楽譜なぞ引っ張り出して、なぞりながら聴いてみる。今度はへブラー女史の楽譜の読みの何と自然で見事なことよ、と驚き、度肝を抜かれる。あまた有る、あくの強い解釈はそれなりに良いだろうが、この自然さはどうだ!全てのモーツァルト録音を失くしても(そんなぁこたぁ絶対ねぇが)こいつだけは脳みそのポケットに突っ込んでいつでも取り出せるようにするんだ!
>> ヘブラーの至芸
ヘブラーの演奏には恣意的な表現が少しも無く、ただ自分の持ち合わせている洗練された音楽性と技巧をひたすらモーツァルトの音楽に奉仕させるという姿勢を貫いている。その潔さとあくまでも古典派の音楽へのアプローチとしての自由自在な表現が円熟期を迎えた彼女の到達しえた解釈なのだろう。ただここでのモーツァルトは決して枯淡の境地的なものではなく、むしろ清冽な響きで奏でた瑞々しい音楽が印象的だ。テンポのとり方にも非常に安定感があり、それぞれのソナタに聴かれる明確なタッチによる細かなニュアンスとシンプルだが巧みな歌いまわしに彼女の確信が窺われる。また曲想の輪郭をむやみに曖昧にすることなく、常に明晰で研ぎ澄まされた感覚を駆使した品のある表現はヘブラーならではのものだ。どのソナタをとっても粒揃いだが、中でも白眉は第9番イ短調K.310以降の中期及び後期の作品群で、モーツァルトの自由奔放とも言える着想と深い音楽性、そして作曲技法が一つの模範的な演奏で再現されている。1986年から91年にかけての録音で音質の素晴らしさも特筆される。
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