モーツァルト:レクイエム
>> 感動的な演奏とは
カール・ベームが指揮するモーツァルトの「レクイエム」を聴いています。1971年4月の録音で、LPを購入し繰り返し聴き、CDも複数枚所有する私にとっての思い出の名盤です。
実にゆったりとしたテンポ、壮大で重厚な音楽が最後まで貫かれています。アーノンクールの演奏とは対比的でどちらが正しい、どちらが優れているなんていうことは言えずに、このベームの晩年のモーツァルトの世界に浸るのが良いのでしょう。
現代の演奏ではまず聴くことのできない「重さ」と「凄み」が如実に伝わる演奏です。合唱団員の意気込みも鋭く、「怒りの日」の合唱の咆えること、他の盤では聴けない荒々しさでしょうから。「呪われし者」の類をみないテンポの遅さと男声パートの劇的な表現がかえって今では新鮮に聞こえます。それに続く女声のソトヴォーチェの箇所が実に生きてきます。
「涙の日」へ接続し、続くヴァイオリンの前奏が涙を誘うでしょう。緊張感あふれる合唱によって絶筆部分が歌われます。これほど慄き、嘆き、咆哮する「涙の日」の演奏は少ないのではないでしょうか。
エディット・マティス(ソプラノ)、ユリア・ハマリ(アルト)、ヴィエスワフ・オフマン(テノール)、カール・リッダーブッシュ(バス)というビッグ・ネームのソリストもまたベームの音楽観に添った歌唱をしていました。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の統一がとれた演奏と、ウィーン国立歌劇場合唱連盟(合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ)のメンバーの音楽性の高さが、このアルバムの価値を高めています。
ベームのレクイエムを聴くと、モーツァルトがバッハの宗教曲などのバロック音楽を自分の音楽素養として持ち、続くベートーヴェンやブラームスの音楽に影響を与えたのが分かる解釈です。そこには軽やかで華やかな天才モーツァルトの姿はなく、人生の儚さに恐れおののく人間モーツァルトが立っているようです。
過去の音楽評論家が、モーツァルトのレクイエムの演奏として「ベーム」盤を推奨した意味を実感として理解できる年齢になったようです。
>> なぜか敬虔な気分になれるレクイエムです。
私はキリスト教とは一切関係がありませんが、このベームのレクイエムを聞くとなぜか敬虔な気分になります。緩やかなテンポと集中した演奏のせいでしょうか、アーノンクール盤では、純粋に音楽として楽しめるのですが、ベーム盤では内面が浄化されていくような少し得した気分になります。
実は、以前持っていたCDが古くなり、色あせや汚れが目立ってきたので、リマスターされたのを機に買い換えました。
最近国内盤に採用されているルビジウムカッティングという技術のせいでしょうか、デジタルの鮮明さを残しつつもレコードで聞いた時のような柔らかさが出てきたような気がします。良き時代のウィーン・フィルの上品で温かい弦の音が蘇ったような気がします。
>> さすがカール・ベーム
モーツァルトのレクイエムは、数々の指揮者の下で演奏されているが、
どれもアップテンポで“レクイエム”の意味を表現しているとは思えない。
その点、このCDに収録されているのは、カール・ベームの晩年の指揮で
“モールァルトのレクイエム”を見事に表現している。
安息を表現する所では、スローテンポで、
哀れみを請う所では、静かなテンポで、
主を讃える所では、力強いテンポで、
罪を許し給える所では、優しいテンポで。
カール・ベームは、“モールァルトのレクイエム”を指揮するために
この世に生を授けたのではないかと思わせる一品である。
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