展覧会の絵
>> 作者の創作意思を的確に理解した演奏家
辻井さんの『展覧会の絵』を購入する前、何人かの演奏家の録音を聴いていた。その中で印象に残っているのはワイセンベルグの演奏だったが今回の辻井さんの演奏はまた違った意味で印象的な作品である。
ワイセンベルグの演奏は他の演奏家に比べて全体的にテンポが速い。これはホロヴィッツやアシュケナージなどの演奏家と比べてみれば明らかである。とはいえそれはワイセンベルグの演奏が稚拙であるなどとの評価につながるモノではない。とある展覧会に行った人が出品リストを見て“自分の観たい作品だけをじっくりと観たい”と思い、そこに辿り着く迄の作品の前を早足に近い形で眺める光景を描写した、とも理解できる。
辻井さんの今回の演奏でも「展覧会」に出品された数々の作品を観客が各自で好みで観ている姿、が絵画的に表現されていると思う。そのために表題となっている各作品それぞれの間にコントラストがくっきりと着けられている。
この作品全体で感じたのは「曲と曲の間でのテンポの違い」のことである。クラシック音楽に詳しい方の意見を聴くならば、それは原曲のスコアを見ればわかることと教えてくれるだろう。けれどこの違いが表わす意味を想像した時、それは単に「観客の嗜好」だけでなく展示されている「絵画のサイズ」なのかもしれない、と私は思った。例えば『洛中洛外図屏風』を見た時の第一印象は「京都の街の賑わい」だが、“よく見ると”そこには右隻は春の彼岸辺りの季節、左隻は祇園祭の季節が描かれていることがわかる。
辻井さんの演奏はこの作品が持つ本来の趣旨を的確に表現していると思う。“最初は全体の印象”次いで“気になる部分”をじっくりと見たい、そうした鑑賞者の眼差しは絵画作品のサイズによっても左右される。ムソルグスキーが「絵」と同時に「絵を観ている人達」を描写することで『“展覧会”の絵(=情景)』を世に送り出し、そうした思いを敏感にキャッチした若者がこの作品に息吹きを吹き込んだ。とある番組でアメリカツアーの時にイメージどうりの演奏ができず「キエフの大門」の部分で苦しんでいたが、このアルバムではそれは感じられない。堂々と聳え立つ大きな門扉の絵とその前に佇む人の様子が鮮やかに伝わってくる。
年若い演奏家はまた一つ峰を越えた。
>> 色彩あふれる展覧会の絵
この「展覧会の絵」を聴いた時、一周り成長した辻井君の一面を見た気がしました。一曲一曲がまるで、色彩豊かな一枚一枚の絵を見ているような感じに聞こえました。特に「古城」は栄華を極めた城が今は物悲しくさびれてしまったように、「卵のからをつけたひなの踊り」はひな鳥が走りまわっているように聞こえ、そして最後の「キエフの大門」を聴いた時は、NHKのドキュメンタリー番組の中で曲のイメージをつかむのに、如何に苦労したのかを見ていたからでしょうか?分からないのですが、何故か涙があふれて来ました。ダイナミックで華やかな作品に仕上がっていますね。
リストの作品も、同様に華やかで繊細な演奏でした。「リゴレット・パラフレーズ」は、まるでアリアを歌っているように聞こえて来ました。
>> スローテンポで丁寧な演奏。オーケストラのような色彩感
「展覧会の絵」はリヒテル盤を持っている。モノラルで音はよくないが演奏は圧倒的ですばらしい。それに比べると本作はかなり遅く、ラベルのオーケストラ編曲に近い.辻井氏の演奏は彼独特の色彩感のある音色がすばらしく、丁寧でオーケストラのように華やかだ.個人的には大胆なリヒテル版が好みだが、曲の詳細を鑑賞するには辻井氏に軍配が上がる。すばらしい演奏だ。
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