ショパン:ピアノ協奏曲第1番&第2番
>> ピアノの魔女と2人の怪物による「サバト」
誤解のないように、先にフォローをしておきたいのだが、
アルゲリッチ位のレベルのピアニストになると、どの様な形態の楽曲であっても当然かのように平均以上の・・・
いや、それどころかどう客観的にみても、およそ高い水準での演奏を平然とこなしてみせてくれるのだが。
(すくなくとも、オーディエンスとしてはその様に感じてしまう)
それでも実際いるのだ・・・。
協奏曲っていう場面になると、まるでスイッチが入った魔女の様なパフォーマンスをするタイプのソリストが。
アルゲリッチがピアニストとして、どれ位の化け物なのかという点については、
彼女が若手時代に、あの完璧主義者で知られるミケランジェリのもとにレッスンに訪れても、
「すでに完璧なのだから教える必要はなにもない。」と言われて、卓球の相手しかさせてもらえなかった
・・・というエビソードを持つ事などからでも、うかがい知る事ができるのではないかと思う。
そして、そんなピアノの魔女がリミッターを外して協奏曲を演奏するのだ。
はたして並のマエストロで伴奏が務まるものだろうか ?
アバドはこの1968年録音のショパン:ピアノ協奏曲1番だけでなく、同じ年にリスト:ピアノ協奏曲や
1994年にはチャイコフスキー:ピアノ協奏曲1番でもセッションを務めていて、
それぞれにその曲を代表する名演との評価を勝ち得ている。
もう一方のロストロポービッチがセッションを務めた、この1978年録音のショパン:ピアノ協奏曲2番も、
この曲を代表する録音の一角にしっかりと君臨しているし、
なによりこのCDジャケットの2人の表情が、すばらしいセッションであったことを物語っているのではないだろうか。
これらの事実が伝えてくれているのは、魔女の様な演奏をする
アルゲリッチというソリストと真正面から音楽で渡り合う事ができる2人のマエストロの存在で、
そんな彼らもまた、アルゲリッチ同様に怪物呼ばわりしても差し支えないのだろう。
このCDは、そんな3人による「サバト」だということだ。かしこ。
>> 記念碑的録音
1965年のショパンコンクールで優勝したマルタ・アルゲリッチのまさに記念碑的録音。ピアノ協奏曲第1番は彼女がショパンコンクールで弾いた曲で、おそらく彼女にとっても特別な曲に違いない。この1968年に録音された第1番はまさに圧倒的でここまで情熱的にしかもロマンティックさも忘れずに演奏しきってしまえるところがアルゲリッチらしく素晴らしい。この彼女の若いエネルギーに対抗できるピアニストなどなかなかいないだろう。それに対して第2番はとてもロマンティックで第1番とは違った印象を受けた。1998年の新録音も素晴らしいが、やはりアルゲリッチらしいこっちの録音がおすすめ!
>> 音楽もまた『意思』である、とこの演奏は教えてくれる
第1番がアバドと1968年2月ロンドン、タウン・ホールで、第2番がロストロポーヴィチと1978年1月ワシントン、J・F・ケネディ・センターで録音。アルゲリッチがショパン・コンクールで優勝したのが1965年なので、この2つの録音を同じように論じるのは無理があると思える。むしろ注目すべきは、ロストロポーヴィチで、1970年 社会主義を批判した作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンを擁護したことによりソビエト当局から「反体制」とみなされ、以降、国内演奏活動を停止させられ、外国での出演契約も一方的に破棄される。1974年 2年間のビザを取得して出国し、そのまま亡命。1977年 アメリカ合衆国へ渡り、ワシントン・ナショナル交響楽団音楽監督兼首席常任指揮者。1978年 ソビエト当局により国籍剥奪というすさまじい時期に当たっている。その中での演奏である。
ロストロポーヴィチが故郷を愛してやまなかったことは間違いない。1990年にここでのワシントン・ナショナル交響楽団を率いて、ゴルバチョフ体制のソ連に凱旋公演し国籍回復したことからみても明白だ。体制への強い気持ちを音楽に昇華させて演奏していると思えるこの第2番協奏曲は、既にプロとして13年のキャリアを経て円熟したアルゲリッチのピアノとともに『強い意思』を具現化していると思う。
この時代のソ連の演奏家・作曲家は皆、なんらかの阻害を体制から受けていた。その中で最も強く行動したのがロストロポーヴィチだったと思う。そして音楽もまた『意思』である、とこの演奏は教えてくれる。
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