Tuesday, October 26, 2010

奇蹟のカンパネラ


奇蹟のカンパネラ
>> 「神々しい音色」 & 「人情あふれる演奏」!!!
 1999年、フジ子・へミングさんの作品です。



 フジ子・へミングさんは、「波乱万丈の人生」で有名だそうですが、何よりも演奏が、物語っています。

 私は、フジ子・へミングさんの人生について知ることよりも、

「この演奏を、1回でも多く聴いた方がよいのではないか?」と思います。



 譜面を超えた、

「優しく奏でられた音符」「余韻のある休符」のすべてが、

人間の持つ「情緒」「浪漫」「詩情」「哀愁」「悲哀」etcのあらゆる情を、表現しています。



 どの情も、とても深く、心の奥底まで響きます。



 私のオススメは、tr. 1,2,4,7,8,9です。

 

 「体も心もヘトヘトな方」へ。。。是非、聴いてください。

 「体も心もヘトヘトな上、困難が降ってきている方」へ。。。是非是非、聴いてください。(今こそ、聴く時です!)

 「既にお持ちの方」「聴いたことのある方」へ。。。もう一度、聴いてみては?



 全てを解放して、フジ子・へミングさんのピアノに、身を委ねてみてください。

 きっと、何かが満たされますよ♪
>> 奇跡とは言い難い・・・
フジ子がいくら有名ピアニストといえども、ただのおばあさんなんだなと思いました。

ルバートが好きな人にはいいのかもしれませんが、インテンポで弾く技術がないため、それを誤魔化しているだけとしか感じられません。



「波瀾の人生」が人気を集めているようですが、人生経験でピアノがうまくなるわけではありません。

演奏の内面的な良し悪しを深く吟味せずに、表面的な聞き易さとメディアの取り上げた「波瀾の人生」に惑わされているだけではないのでしょうか。



技巧があってなんぼのエチュードである「ラ・カンパネラ」では、指が全然動いておらず、パガニーニやリストの世界観の表現まで文字通り手が回っていませんでした。



素人が一聴するだけなら、綺麗に聞こえるのかもしれませんが、ただ綺麗なだけで、リストの音楽には程遠いです。これを聴いたら、リストという作曲家を誤解する方が増えるだけだと思います。



そもそも、ピアニストの使命は、作曲者が楽譜に著した芸術表現を再現し、聴衆に伝えることにあります。

しかし、フジ子の演奏は、アクの強すぎるルバートと致命的な技術不足のせいで、まったくその使命が果たされていません。

こんなことを言うと「感性の違いだ」「好き好きの問題だ」などと言われますが、こういった演奏は、作曲者の意思反映というクラシック音楽においてもっとも重要な根本を疎かにしているため、個人的好みがどうとかいう以前の問題です。

フジ子もピアニストならば、リストの意思は楽譜から汲み取っているのでしょうが、それをねじ曲げてまで小綺麗に仕上げて、それは果たして、演奏と呼んでよいのでしょうか。



また、商品紹介欄に、

「文章にたとえるとすれば、難しい漢字や熟語を使わずに、わかりやすく自分の思うところを述べた口語文」

とありましたが、作曲者が表現したかった「漢字や熟語」を退けて勝手に「自分の思うところ」を述べられては、作曲者の意思反映も何もあったものではありません。

少々きつい言い方ですが、「漢字や熟語」を使うと、大衆に受け入れてもらえないから、「自分の思うところ」を言うという自己主張に走っているのでしょう。

また文章に例えて言わせてもらえば、「漢字や熟語」を使わない表現は、素人受けはするかもしれませんが、私のような根っからのピアノファンは、「口語文」どころか、「子供騙しのひらがなばかりの絵本」のようにしか感じません。



クラシックのリスナーならば、「絵本」ばかりでなく、「漢字や熟語」の入った格調高い演奏を聞いてほしいものです。



「ラ・カンパネラ」で、具体的に例をあげるなら、音色の美しさを前面に出したエフゲニー・キーシン、心地よい速さで聞かせるユンディ・リー、洗練された表現力をもったマルカンドレ・アムランなどの演奏をお勧めします。
>> ブームとは違う
偶然の重なりからフジコという人を知り、小さな小さな演奏会で聴き感涙した当時の彼女の音が詰まっています、何十年後も聴いていると思います。

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